無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

金曜日, 3月 30, 2012

お米の苗作りを始める

いよいよ、不耕起栽培の完全無農薬米の栽培の最初の大作業に取り掛かります。

きのうは、催芽加温と山の土の配合を行いポットに詰め置きしました。
きょうは、いよいよ播種作業です。

金曜日, 3月 23, 2012

不耕起のたんぼを始めます。


不耕起の田んぼを始めます。
畦シートを敷設して、水を張りました。

この50cm掛ける120cmの畦シートは施工性が良く、どんな田んぼも一気に優良田に変身で、発明した人はのノーベル農業賞モノですね。

木曜日, 3月 22, 2012

自然は強い


自宅の居間で育てているほおずきの苗
日毎に力強くなって、人は何もしないのに、二葉から大きく育っています。
今は1センチにも満たないこの苗が、やがて3m4mの大株に育つのです。

水曜日, 3月 21, 2012

突然の春

 突然に春になって、ポカポカ陽気に誘われて、なんてのんきな物ではなく、旧に雪が融けたので、地面が突然に現れて、アレェ時間がない!
と言う訳で、苗代作りの準備、畦シートを張って、中を平らに均しました。 
水平度はかなりのモノです。

ようやく終わってホッとして、ふと見たら、ルバーブが芽を出していて、その周りに鹿の足跡、糞もかたまって、こりゃまずいとばかりに、その上にネットを張りました。
これで、彼らは芽を食べられない。うらめしやと、でも、鹿の目的は、畑の真中にあるタラの芽、これを頭から食べているのです。
隣部落のイサムちゃんに仕掛けを掛けて貰いました。可哀想だけど、こっちも生きなくてはで、ごめん。

ほおずき発芽

春分の日、ようやく雪が融けて、初めての農作業に取りかかれました。
まず苗代の床作り、怠け者の彼岸働きでした。

 ほおずきの苗は、家の中なので、順調に育っています。

木曜日, 3月 15, 2012

100歳までピンピン生きるべ

 病気をしないように、やりたいことをやりたいようにやって、100歳までピンピン生きられるよう、地域のみなさんと無農薬の農業をすることにしました。

 ながいきいき と名付けたプロジェクトで、みんなとする無農薬農業の実践を通じて、生き甲斐を見いだし、健康に気を遣って医者に罹らなくてもよいように、無農薬の玄米と無農薬の野菜を食べ、適度に痩せたからだを作って、何時までも達者で生きる術の研究を始めます。

 不耕起での無農薬の米作り、大豆と花豆を作り味噌だの豆腐を作り、地域の田んぼを生き返らせます。

 日本不耕起栽培普及会の会員となって、岩澤信夫先生に教えを請います。
できれば仲間を増やして、みんなで大きな運動にしたいと考えています。

 今日は、丹野喜三郎先生を案内して、高山村の自然耕塾塾長の薗原久仁彦先生を訪ねました。
何時か、千葉の岩澤信夫先生を訪ねたいと思っています。

日曜日, 3月 11, 2012

地域主義を生きる



 昨年の今日から一週間に見聞きした出来事を通じて1年間に渡り考えて、私なりに行うべき事が見えてきたので、此処に記録して行動指針と致したいと思います。



 これまで、経済という事を真剣に考ないまま生きてきて、自分、さあどうしたらよいか?薄々感じていてもそれを自信持って語れないので、踏み出せないジレンマを払拭するために、経済学を知ろうとした。

 若い頃に社会学としてのマルクス主義を通して生きてきたこともあり、経済学としてのマルクスを学ぶことから始め、改めて経済の本質を知ることとなった。

 経済とは、富の適切なる配分を主眼においた狭義の経済学と、人の生き方に関わる広義の経済学があり、後者を学ばなければならないことを知った。

 東大の丸山真人教授に彼の師である玉野井芳郎先生を紹介して頂き、師の目を通じてマルクスやシュンペーターを学び、自分なりの結論がでました。

 玉野井先生によると、マルクスは「交換」において、日本語では交換だが、ヨーロッパではExchangeとInterchangeがあり、共同体の内と外を分けて考えていた。この考えを取りいれないと現代の問題は解決できない。

 狭義の経済で効率と利益を目指す限り、社会主義になっても経済は破綻すると現在の世相を予言していて、地域社会における人間の暮らしを考えないと経世済民は成立しない。

 物理学者に向けて、宇宙で発する高熱を人間が利用できる範囲まで降下させるには、全く非生産的な仕事に頼って、多量のエネルギーを費やさなければならない。と1978年に警告しています。

また工学の専門家に向けて、過去1世紀の技術の進歩が可能になった背景には、それを支えた目に見えないような間接的な付加的なエネルギーの利用があったことを忘れてはならない。と忠告しています。

  晩年のマルクスは、『人類は、古来より自然の中で農耕を主とした社会の中で、人間の生の持ちうる意味と尊厳を持って生きてきた。西ヨーロッパに出現した、中世封建制の解体の上に成り立った資本主義と呼ばれる歴史現象は、狭義の社会生活の一経験に過ぎない。この物理と化学からなる資本主義を受け入れるには、自分たちが持っている環境と生物学を同時に組み合わせた社会を創りだすことが求められている。』(玉野井)

 やはり晩年のシュンペーターも、『これまでの生産中心の社会から、限られたエネルギーの中で生活中心の経済のありようを探していかなければならず、同時代の人にその考えがどのように扱われようが、それに気を取られることのないように。』と語っているようです。(独断)

 私は地域社会の中で育てられたことによってか、資本主義の中では受け入れられがたい考え方を貫いて生きてきました。まさにそれが、これから必要であることに気づかされました。

 限られたエネルギーの環境の中で「若者が生き続けられるよう」地域と農村に基軸を置いて残された人生を全うしたいと思います。