無農薬で自給自足

 今年から、無農薬農業にジャンルに、米つくりを加えます。 冬季湛水にて自然豊かな田んぼにして、ほたるの居る田んぼを創ります。   誰でもが簡単に無農薬の田んぼつくりができるよう田んぼを用意し、定期的に実習教室を計画して、自給自足の米つくりを支援します。  武石川の源流のきれいな水で米つくりをしましょう。  宮 下   和 美 

木曜日, 11月 29, 2007

久しぶりに絶食を余儀なくされる

 数日、食事が摂れませんでした。
かなり超越したつもりだったのですが、ポケをやってしまいました。

 戴いた〇ルピスが有ったので、名前もゆずなんとかだったので、少し薄めてコップ一杯飲みました。二人の子供に止めるように言われたのに、、。いじきたなく飲んでしまった。

 次の日の夕方からおかしくなって、本当は朝お腹が空かなかったし昼もおかしかったのですが、朝昼食べてしまったので、夕方から片頭痛がしてきて、ついにそこから48時間を絶食することになりました。

 とても久しぶりに具合悪さを体験しました。
一日目は、とても寒い日で風が吹き荒む野原で、立会をしたので風が心地よかったのですが、嗅覚が異常に敏感になって、タバコの煙が苦しく感じました。その方が近寄ってくるだけで頭痛がひどくなり、風上に避けて立っても難しいほど、嗅覚が敏感になるのを体験しました。
 とうとう、一日目はダウンして、早く帰って休みました。

 二日目は、しっかり断食したのですが、遠出をしたのです。
 車の暖房が苦しいので、コートを着て窓を開けて、ジーゼルの排気ガスを避けての運転です。それほど使っていないのですが目が疲れて痛くなってしまいました。
 いつも元気なときにおじゃましている会社に伺いますと、社内が臭っていて、早々に退散しましたが、健康な時には感じなかった臭いに敏感になっている自分を発見しました。 

 本日は、ようやく元気になって、もりもり食べられます。

 久しぶりに、シックハウスになってみて、こちらの具合が悪いときに、嗅覚がひどく敏感になることを再確認した次第です。

日曜日, 11月 25, 2007

健康の秘訣

 絶対的健康に対して、相対的健康と言うものを考えてみました。

 父を送ってみて、余生を快適に過ごすためには、健康であることが重要だと気付きました。
まず、精神が健康であること、同時に、身体が健康であること。

 この2つを同時に維持できないと、結構不安定な老後を余儀なくされることに気付きました。

始めに精神の健康については、結論から言うと、現状を素直に認めて「全てを許す」寛容さを身につけること。これはあとで書きます。

 次に、身体が健康であること。

 この状態が、どのような状態を言うのか?定義付けが必要です。
どなたに於いても、現状の体調をそのまま認めて、現在に於いて、どの状態が健康で、どの状態が不健康か考えることがよいと思います。

 太っていても、痩せていても、身体が不自由でも、食が細くても太くても、毎日の中に健康と不健康は混在しているのです。
 今の状態をそのまま認めた場合の、健康のバロメータは何か?を考えます。

 調子が悪い時を考えてみましょう。
 どんな状態か?頭や腹が痛い・身体がだるい・眠い・吐き気がする・食欲がない・等々ですが、この時お腹がすくと言うことは余りありません。

 つまり、空腹の時、あるいは、空腹を感じる体調の時、これが健康の証なのです。
空腹とは、「食べろ」の合図ではなく、「食べても良い」合図であって、胃も腸も、肝臓等の内臓も仕事が終わって一息ついて「さあ食べても良いよ」と同時に「身体が健康になったよ」ということを胃ではなく肝臓が教えていると考えています。

 折角、健康の身体を取り戻して、内臓も休んでいるのなら、2時間位はそのまま休ませてあげることが、もっと健康になる秘訣なのです。

 お腹が「グー」っと鳴る位まで休ませてあげる。一日2時間ずつ3回、計6時間も空腹にしてあげれば最高です。
 それができなくても、一日に一回あるいは2日に一回でも、休肝日ならぬ休肝時間をもつことで、肝臓の働きが良くなって、調子が良くなるはずです。

 その状態を相対的健康と呼ぶことで、毎日どこかで健康を体験できるようになります。

水曜日, 11月 21, 2007

朝は寒いがさわやか

 標高850mの武石上本入の朝は寒い。
朝焼けを眺めて、田んぼにおが屑を散らしています。
 手がかじかんで覚えが無くなりますが、身体は温かいです。
朝からしゃがんでの労働は、腰に良くないので少しやって退散するので、
朝日が出て田んぼに陽が差すころには、ストーブで身体を温めて下界に戻ります。

火曜日, 11月 20, 2007

余生が確定してしまった

 歳があっという間に過ぎて、後何年生きるだろうかと考えると、 これまでも短かったように、これからもきっと短かいだろうことが 思い至ります。

  父と同じ年まで生きるつもりですが、確定してしまったので、 あと30年余。 
少し前に考えた時は、確か35年あって、 そうかぁ「大過なく35年」というので、入社してから定年までか。 
と考えて、第3の人生に踏み出したのですが、もう3年喰ってしまいました。

  少し焦ってみましたが、息子に代譲りできそうなので、 彼が城を築けばよいのだな、と考え 俺は石垣つくりまでで良いのだなと、皆様に助けられながら、ゆっくりと生きようと 自分に言い聞かせています。

日曜日, 11月 18, 2007

紅玉りんジャムができました

 上田市御岳堂の金井さんのりんご園から、紅玉りんごを求めて登る軽トラック。
カーブで止めればよいものを、少しバックしたのが命取り。気がついたら路肩からずり落ちていた。
 
 慌てて、前進したけど滑ってデフが路肩に付いてしまう。
材木を探してきて土手にかませ、ジャッキで上げてもう一度脱出を試みると、なおも傾いてしまった。
 
 木杭を路肩に打ち補強して、ジャッキで上げると、車体が上がると共に車体がわずかに落下してきて、
このままでは、横転してしまう。あきらめて、クレーン車の応援を頼むことにする。


 翌々日、4駆のクレーン車をお借りして、現場に向かうその途中のこと、4駆の感じがスカスカすると感じていた。
カーブで路肩に食いこんだタイヤが動かない。低速の4駆に入れて登坂を試みるが、車はバックしている。
 見事にはまってしまった。水に膿んだ畑にタイヤを落としてしまったのだ。ミイラ取りがミイラになってしまった。

 クレーン車の持ち主の先輩の助けを仰ぐ。到着した大西さんがしたことは、前輪の軸のスイッチを切り替えること。
そうだ昔の4駆は、ここに切り替えスイッチがあったっけ、昔乗っていたのに忘れていた。
 いろいろあって、金井さんに桟橋を借りて自力で脱出成功。

 すっかり自信をなくした僕は、その後大西さんに軽トラックを揚げてもらって、無事帰還。

 そうでなくても忙しいのに、そんなこともあって、ことしの紅玉ジャムは格別すばらしいできの様な気がします。

 その下りは、次回に。

火曜日, 11月 06, 2007

父の葬儀

 10月28日父が永眠しました。
 8日から危篤状態が続いていたのですが、その時はまだ田んぼに稲が残っていましたので、親戚の助けを借りて稲刈りと脱穀をいたしました。
 脱穀が終わったことを告げたところ、父はそれを待っていたように息を引きとりました。

 大勢のみなさまに送られて、往生を遂げました。

 あっという間の一週間でしたが、なんとか務めを果たせて一息入れているところです。

 田舎での葬儀というのは、これまでの生きざまを反省して、これからの生きようを占うような式になっていきます。そう言う意味で重要な一週間でした。